2012年01月25日

宇利城のあらまし

宇利城のあらまし

<宇利城>
・築城
南北朝時代 山城

・主な城主
熊谷備中守實長

・見どころ
本丸、二の丸(姫御殿)他曲輪、大手門、土塁、石積み、井戸、虎口。麓から見上げる独立丘の雄大な初期山城の景観。

・歴史と戦い
今川氏の勢力が大きかったこの地方であったが、一方松平郷から興った松平氏が徐々に台頭し始め、次々に諸将が松平の軍門に下った。しかし、この宇利城主熊谷備中守實長だけは、頑として今川氏に属したままであった。
いよいよ、松平清康(家康の祖父)が宇利城を攻めたのが、享禄3(1530)年であった。三千人の軍勢で攻めかかるも、難攻不落のこの城にてこずり、大手から攻め上がった松平右京進(清康の叔父)は、ついに討死してしまった。
しかし、予てから野田の菅沼を介して内通していた岩瀬庄右衛門が城に火を放ったため、折からの強風にあおられ瞬く間に焼け落ちたという。熊谷備中守は裏山伝いに落ち延び、その子孫は今の豊根村熊谷姓につながっていると伝えられる。

宇利城のあらまし


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Posted by 奥三河ビジョンフォーラム at 20:58 │基本情報